前回に引き続き、大阪の十三にあったとある風俗店での思い出話をしてみようと思います。
かつて〝魔境〟と呼ばれていた頃の十三には、面白い店、怪しい店、ちょっと風変わりな店がたくさん存在していました。それらはディープではあるものの、総じて庶民的でありました。そこが、十三という街の良さだったと私は思っています。
気持ちを和らげてくれる店
かつて十三の穴場スポットとして、一部のコアなファンのあいだで人気を博していたホテヘル『F(仮名)』。もともとはファッションヘルス(箱ヘル)だったそうなのですが、私が利用するようになった頃にはすでにホテヘルへと業態を変えていて、レジャービルの一室に入居していました。
その店に行ったときにまず驚いたのが、店員の接客がものすごくフランクだったことです。
お笑いタレントの江頭2:50によく似た風貌の60代くらいのおっちゃんが受付に座っていて、素っ気ない感じで「いらっしゃーい」と出迎えてくれました。
話し方も動作も緩慢で、反応も鈍く、こちらが言ったことが伝わっているのかどうか不安になるような接客でしたが、その割にミスはいちどもありませんでした。
店の女の子たちは、受付のおっちゃんのことを「マスター」と呼んでいて、中には「お父さん」と呼ぶ嬢もいました。受付に行くと、マスターの膝の上に女の子がちょこんと座っていたこともありました。
この店のスタッフはマスターの他に、ちょっとコワモテの若い男性と、背の高い50代くらいの男性(あとで知ったのですが、この人がオーナーでした)がいました。
たまに店の女の子や、同じビルに入っているおかまバーのマスターが受付に座っていることがあり、なんて自由な店なんだと驚かされたものです。
こういうフランクで自由な雰囲気が、来店客にも影響を与えていたようです。
待合室の中でも見ず知らずの客どうしが話しかけやすい雰囲気があって、私も何人かの客とは顔なじみになり、街で見かけたら挨拶し合う仲になりました。
風俗の待合室って、たいてい声をかけにくい雰囲気だと思います。お互い緊張していたり、気恥ずかしい感じがあったりして、目を合わさないようにしている人も多いはずです。
しかし、隣に座っている人とちょっと言葉を交わすだけで、緊張がほぐれたり、気恥ずかしさが和らいだりするものです。ホテヘル『F』には、そんな来店客の気持ちを和らげてくれるムードがあったのです。
コース選びは自由?
ほとんどのホテヘルは、プレイ時間、プレイ場所が決まっています(たいてい近隣のホテルかレンタルルーム、あるいは客が指定したホテルなど)。
ところが『F』では、そのへんがちょっとアバウトで、客の要望をかなり受け入れてくれるのでした。
私はたいてい60分コース、たまに懐具合に余裕があるときは90分コースを選んでいましたが、受付の料金表には240分コースまで記載されていて、こんなロングコースで遊ぶ人って実際どれくらいいるのかなあと疑問に思っていました。
あるとき、初めて指名した嬢に、ロングコースで遊ぶ客がどれくらいいるのか聞いてみたところ、めったにいないと言われ、やっぱりそうなのかと納得してしまいました。
ところが、「まる1日貸し切りにするお客さんはいるよ」と言われ、私は驚きました。
その客は1年に1回(たいてい正月)だけ来店してその嬢を指名し、24時間コースで遊ぶのだといいます。
「エッチなこともするんだけど、買いものに行ったり、ごはん食べに行ったり、普通に生活してる感じ。で、ホテルで1泊して帰るっていうスケジュールになってるの」
私は唖然とすると同時に、風俗にはそういう遊び方もあるのかと、えらく感心してしまったのを覚えています。
ホテヘル『F』では、料金表に記載されていないコースでも、客が望めばたいてい受け入れてくれるようでした(もちろん女の子がOKすればの話ですが)。
超ロングコースの他、コスチュームやアダルトグッズの持ち込みもできましたし、女の子と散歩をするだけ、あるいはドライブに行って車内でエッチなことをする…などなど、様々な要望を受け付けてくれる店でした。
最近では、オナクラ店で「お散歩コース」というものがあったりしますが、ホテヘル『F』では20年前からそういった遊び方が存在していたのでした。
ちなみに私は、いちどだけホテルのロビーでプレイしたことがありました。
フロントから死角になる場所に、ソファーとテーブルが置かれた喫茶スペースのような場所があったのです。
その日たまたまホテル側の手違いで、チェックインまで20分以上待たされることになり、ムラムラして我慢できなくなった私は、「ここでしよう」と冗談半分で言いました。
相手の女の子は少し迷ったあと店に電話を入れました。店と彼女とのあいだにどんなやり取りがあったのかはわかりませんが、その喫茶スペースでのプレイにOKが出たのでした。
私は「まさか!」と思いました。絶対NGだと思っていたことが、なぜか実現してしまったのでした。
いつ誰に見つかるかわからないスリルの中で1回戦を終え、部屋にチェックインしてからもう1回戦を楽しみました。
余談ですが、十三のラブホテルへ行くと、バスルームが無駄に広くて驚かされることがあります。バスタブはたいして大きくないのですが、シャワースペースの間取りだけえらく広くとられているのです。
私が聞いた話では、かつて十三には、マットプレイを取り入れているホテヘルがけっこうあったそうで、そのために広いバスルームを作ったと言われています。
1990年に大阪で『花の万博』が開催されたとき、それに先立って大阪府内でのソープランドの営業が禁止されました。現在、大阪にソープランドが存在しないのはそのためです。
じつはそのとき、営業を禁止されてしまったソープランドの多くが、箱ヘルやホテヘルに業態を変え、営業を始めました。マットプレイができるホテヘルが十三に存在したのも、その名残だったと言われています。
2000年代の初め頃まで、十三では本番ありのホテヘル(私の記憶では箱ヘルも1店舗残っていた気がします)がいくつもあって、それもソープランドの名残りだったのではないかと考えられます。
待機所でおでんパーティー!
頻繁に店に通うようになると、待合室で客どうし顔なじみになるだけでなく、女の子や店員との距離も近くなっていくものです。
ホテヘル『F』では、店と客という垣根を越えたアットホームな付き合いがありました。
あるとき店に行くと受付に誰もおらず、声をかけると中国人の女の子がひょこっと顔を出しました(この店には中国人とフィリピン人の嬢もいたのです)。
「今日はマスターはいないの?」と聞くと、「いま商店街に買い物に行ってる」と言われました。
客が少ない時間帯だと、店員が出かけていて不在ということがあるのも、この店ならではだったと思います(中国エステだと時々そういうことはありますが)。
10分ほどして、マスターが買い物の荷物を提げて戻ってきました。
「ああ、お兄ちゃん来てたんかいな。ごめんごめん。買い物に行ってたんや」
マスターは手に提げた袋を見せ、「お兄ちゃんもいっしょに焼き鳥食べるか?」と言いました。
私は受付の奥にある厨房へ入れてもらい、マスターと女の子数人といっしょに焼き鳥を食べました。そのあと、先ほどの中国人嬢を指名し、ホテルへ向かいました。
年末の最後の営業日に行ったときには、プレイを終えたあと店に戻り、おでんパーティーに参加させてもらったこともありました。
女の子の待機所になっている部屋へ通され、マスターと店のオーナー、女の子数人、そこに私を含む常連客数人が加わり、みんなで熱々のおでんを頬張りながら団らんを楽しみました。いっしょにいた常連客のひとりは泥酔してしまい、結局その夜は店で1泊したそうです。
最後の穴場
ホテヘル『F』は2014年の春まで営業を続け、惜しまれつつ閉店しました。
最後の数年間は、店は以前のオーナーとはべつの人の手に渡り、出勤嬢も1日1~2人くらいの中、細々と商売を続けていたようです。
この10年くらいで十三の歓楽街はどんどん元気を失くしていき、今ではすっかりしょぼくれてしまっています。
かつて〝魔境〟と呼ばれていた頃の面影はほとんど残っておらず、一部のコアな人たちが喜びそうなディープな店は、私が知る限りゼロです。この10年のあいだに全滅してしまいました。おそらく、ホテヘル『F』あたりが最後の穴場だったのではないでしょうか。
今後あの街がどのように変化していくのか、私はすごく興味があります。
できることなら昔のように、一歩足を踏み入れるとスリルやわくわく感がどっと押し寄せてくるような雰囲気を取り戻してほしいところですが、それはおそらく無理でしょう。
しかしせめて、風俗が好き、夜の街が好きという人たちが楽しめる街にはなってほしいと願っています。そうでなければ、いずれこの国から歓楽街というものが無くなってしまうかもしれません。
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