今回は、大阪の忘れられた小さな風俗街、塚本の話をしてみようと思う。
塚本というところ
「塚本」という地名は、大阪で暮らす人間にとってもあまり馴染みがないかもしれない。JR東海道本線の大阪駅と尼崎駅のあいだにある塚本駅を含む小さな街で、ちょうど淀川区と西淀川区の境い目、淀川の河口に近い場所に位置する。
阪急電車の十三駅からだと徒歩圏内なのだが、十三のような歓楽街はなく、駅前の商店街やその周辺にカフェや小さな飲食店がぱらぱらと立っているほか、カラオケスナックなどが入っている古いレジャービルがあるくらいだ。
しかし、かつては知られた風俗街だった。ひとつのビルの中にピンサロや熟女系のヘルス店がびっしりと軒を連ねていたものだ。尼崎方面からJRに乗って遊びに来る客や、十三からの流れ客も多かったようだ。
いっぽう、「塚本といえばマンヘルだ」という、遊び慣れた風俗客もいる。2000年代の初め頃まで、JR塚本駅周辺のマンションではマンヘルがいくつも営業していた。
もともと大阪市内では大国町や日本橋、新大阪周辺がマンヘルのメッカだったが、景気の悪化に加え、マンション住人や地域住人からの反対運動もあって、徐々に衰退していった。
場所を追われたマンヘル業者が、塚本のようなあまり人目に付かない土地に流れ着いたと言われている。また、そういった辺地で、景気の悪化により空き部屋が目立つようになったマンションのオーナーが、「風俗可」物件として入居者を募ったことも、マンヘル業者が多く流れ込んだ理由のひとつだと聞く。
入居したマンヘルの中には非合法な店もあり、いわゆる「マントル=マンショントルコ」のような営業をしていたところもあったそうだ。
しかし、長引く不況のあおりを受けて廃業する業者は後を絶たず、現在、JR塚本駅周辺では、一部のレジャービルでデリヘルやホテヘルの激安店が細々と営業しているくらいで、以前のような風俗街の面影はまったくと言っていいほど残っていない。
魔境の裏側
大阪のディープスポット十三。一部の愛好家のあいだでは魔境と呼ばれる街。かつての勢いは失われてしまったが、現在でも大阪屈指の風俗街のひとつとして知られている。
その十三から徒歩圏内にある塚本という街を、私はひそかに「裏十三」と呼んでいる。十三のように足を踏み入れた瞬間それとわかるような雰囲気ではなく、どこか下町情緒を感じさせる素朴な色合いの街。
しかし街の様子をじっくり観察しながら歩いてみると、所々に十三に似た怪しさやディープな雰囲気を感じ取ることができる。
風俗サイトのエリア別情報に「塚本」という表記は現在ほとんど見られなくなっているが、2015年頃までは有名風俗サイトでも「十三・塚本」エリアと表記していたところが普通にあった。
「十三で遊ぶんやったら、ついでに塚本も見て行ってや」という感じだったのだろう。十三ほど店の数は多くないが、十三と同じレベル、あるいはそれ以上の満足感を得られる店やコスパのいい店も、かつての塚本にはあったというわけだ。
風俗や水商売系の店以外にも、ディープな味を出している店はあった。ビデオ販売店なんかがそのひとつで、私も何度か利用したことがあった。
児童ポルノや無修正作品、マジックマッシュルームなども扱っていた店で、深夜に行くと、前歯がボロボロに抜け落ちたオタクっぽい店員が店番をしていた。普通の住宅街の中にあって、じっくり観察しながら歩いていないと見過ごしてしまうような店だった。
ここでは割愛させていただくが、そういったディープな店は他にもいくつかあった。十三みたいにネオンライトに照らされた賑やかな街ではないが、その陰でひっそりと息をひそめている静かな色街、魔境の裏側の風俗街が、塚本にはあったのだ。
マンションヘルスの生き残り
2013年の春先のこと。とある広告会社の社員(私がデリヘルの事務スタッフをしていたときに知り合った人物)から、塚本にちょっと面白い店があるという話を聞かされたのだった。
「マンヘルっぽい店なんですけど…」
そう切り出した広告会社の社員。もともとマンヘル業者で働いていた男が、今は自分ひとりで経営している店だそうだった。
私は驚いた。マンヘルという言葉すらすでに死語だと思っていたのに、この2010年代にまだ存在していたとは。
「内緒にしといてくださいね」
広告屋は皮肉っぽい笑みを浮かべて言うと、そのマンヘルの携帯番号を私に教えてくれた。できれば前日までに電話して予約を取っておくことをすすめられた。
風俗サイトはもちろんのこと、スポーツ紙の三行広告にも載らないような〝もぐり〟の店だから、ネットで検索しても絶対に出てくることはないと言われた。
私は塚本を訪れる前々日に電話をかけた。経営者と思われる男が出て「初めてですか?」と聞いた。男の言葉遣いは丁寧だったが、ボソボソとした話し方で少し聞き取りにくかった。
希望する女性の年齢層を聞かれ、できれば20代前半くらいがいいと私が答えると、男はちょっとお待ちくださいと言ったあと、「25歳の子ならいますが…」とためらいがちに言った。私はその25歳の子でいいと答え、翌々の15時で予約を取った。
当日、少し早めに着いた私は、JR塚本駅の周辺をぶらぶら散策してみた。姫島通りにある釣具店「塚本フィッシングセンター」はまだ営業していた。
高校時代、釣り好きの友人に誘われて淀川の河口まで出かけて行ったことがあったのだが、そのときに仕掛けや餌などを調達しに寄ったのが、その釣具店だったのだ。私は少し懐かしい気持ちになった。
駅前から電話をかけた。前々日と同じ男が出て「女の子が部屋で待機してますので」と言い、マンションの場所を案内してくれた。
駅前の商店街へ入ると、少し寄り道をしてみたくなった。中ほどに細い路地のような横道があり、そこを抜けると10階建てのビルがあった。「プレジデントトヨトミ」という名前のビルで、昔はそこそこ知られた風俗ビルだった。
エレベーターホールのフロア案内を見ると、カラオケスナックや飲食店ばかりが入居していて、風俗店らしき店名は見当たらなかった。
私はまた商店街へ引き返し、電話で案内された道順をたどった。目的の建物はすぐに見つかった。商店街を抜けて数百メートル歩いたところにある、ごく普通の低層マンションだった。
マンションの前に着いたらもういちど電話をかける手筈になっていたから、その通りにした。すぐに男が出て、部屋番号を教えてくれた。
何度も電話をかけさせることを考えると、相手はかなり用心しながら商売をしているのだろう。私もいつになく緊張して、エレベーターに乗り込んだ。
部屋の前でいちど深呼吸してからインターホンを押した。ドアの前で待ち構えていたかのような早さで鍵が開く音がし、女が顔を覗かせた。
「どうぞー」
女の声や表情から警戒の色は感じられなかった。若い女だった。たしかに25歳くらいだろう。年齢を偽った中年女が出てくることを想定していた私は、ちょっと拍子抜けしてしまい、おかげで緊張も解けた。
前金で支払いを済ますと、私はひとりでシャワーを浴びた。女は先にシャワーを済ませていたようだった。料金は40分18000円と割高ではあったが、〝もぐり〟の店だからこんなものだろうと思った。
そのあとは一般的なヘルス店と同様の流れでプレイは進んだのだったが、ひとつ想定外のことが起きた。
クンニをしたあとフェラチオで抜いてもらおうとすると、女が枕もとからコンドームを取り出し、私のペニスに装着し始めたのだった。
生フェラはNGということか…。そう思い、少しがっかりした私だったが、じつはそうではなかったのだ。
「どうぞ…」
女が両脚をM字に開いた。私が予想外の展開にぽかんとしていると、彼女が「入れていいですよ」と言った。
「そういう店なの?」私は聞いた。「まぁ、そうですね」女は言い、クスっと笑った。
広告屋からはマンヘルと聞かされていたから、てっきり普通のヘルスと同じだと考えていたのだった。ところがどっこい、この店は本番ヘルスだったわけだ。
つまり「マンヘル」ではなく「マントル=(マンショントルコ)」ということになるのかもしれない。40分18000円と割高な料金設定になっている理由が分かった気がした。
この想定外の出来事に私はうれしくなり、店を紹介してくれた広告屋に感謝したい気持ちになった。
正常位で挿入し、ゆっくりと腰を動かし始めると、女はかすかな吐息のような声を漏らした。私はすぐに興奮が高まってきて、腰を動かすスピードを速めた。
女は両腕を私の首筋に、両脚を腰のあたりに巻き付けてきた。なかなか強い力でしめつけてきたが、私にはそれが快感だった。
「あーん、ダメっ…あっ、あっ、あぁっん…気持ちいいっ、イクっ…」
情欲をそそる魅力的な喘ぎ声に私は興奮を抑えきれなくなり、彼女の下半身に激しく腰を打ち付けながらたっぷりと射精した。
惰性で動き続ける機械仕掛けのように、フィニッシュしたあとも私はまだしばらくゆらゆらと腰を振り続けていたのだった。
マントルは崩壊したのか?
マントルの崩壊…といっても、もちろん地震や地殻変動の話ではない。マンショントルコのことである。
つい先日、所用で十三へ出かけた帰りに、少し足を伸ばして塚本まで行ってみた。あのマンショントルコが今どうなっているのか、ちょっと気になったのだ。
2013年と2014年に、私は数回ずつあの店を利用した。最初の25歳の女とは3回遊んだ。しかしその後、十三方面へ出向く機会がほとんどなくなり、塚本まで足を運ぶこともなくなってしまった。
姫島通りの「塚本フィッシングセンター」は、すでに廃業していた。この10年で街並みはだいぶ様変わりし、JR塚本駅の周辺も明るく開けた感じがした。昔はもっとじめじめしていて、裏街の寂しさみたいなものがあったのだが…。
駅前の商店街へ入ってみたが、やはり以前とは雰囲気が違っていた。中ほどにあった路地のような細い横道は、いくら探しても見当たらなかった。それと思われる場所には駐輪場ができていて、通り抜けできなかった。
マントルが入っていたマンションはまだ残っていたが、もう同じ場所で営業はしていないだろうということはわかっていた。あのときの携帯番号を事前に検索してみたところ、日本橋のほうの居酒屋の電話番号になっていたのだ。
念のため、あのマントルがあった部屋へ行ってみたが、ドアノブにビニール傘がひっかけてあり、廊下には幼児が乗って遊ぶおもちゃの車が置いてあった。
マンショントルコなどというものは、もうどこにも現存していないと思われる。マンションの一室で中国人や東南アジア系の女が売春をしているところならあるが、かつての「マントル」と呼ばれたものは、もう生き残ってはいないだろう。
あの2010年代にマントルが存在したこと自体、いま思うと奇跡のようなものだったのかもしれない。