「かんなみ新地」が消滅。
このニュースを耳にしたとき、私は強いショックを受けた。
〝怪しい街並み〟がまたひとつ消えてしまった…。そう思うと、無意識に深い溜め息がこぼれた。
〝暗黙の了解〟が崩れた日
2021年11月、兵庫県尼崎市の風俗街・通称「かんなみ新地」で異例の一斉廃業があった。
11月1日、阪神尼崎駅前にある中央地域振興センターの会議室へ呼び出された「かんなみ新地組合」の代表の女性。尼崎市職員と県警尼崎南署員から一枚の紙を差し出され、淡々と告げられた。
「そういうことなので」
〝警告書〟の三文字が記されたその紙には、市長と警察署長の公印が押されてあった。
「飲食店の形態をとりながら、店の実態は女性による性的サービスの提供という情報を得ている…。店がある場所は性風俗店の営業が禁止されている地域である…」
そう指摘する警察署の係員。さらに「地元から〝生活環境が悪化している〟との声が寄せられている」と告げると、最後に「違法な営業をしているのであれば、直ちに中止するよう警告いたします」と結んだ。
その日の午後、代表の女性は各店の経営者やママさんたちを前にこう告げた。
「女の子と引き子さんの出勤を全て止めてください。もう一切営業はできません。…純然たる飲食店であれば構わないということ。ただ、こそっとでも風俗営業をしたらそれもできなくなる。絶対に、そんなことはしないように」
終戦直後から約70年に渡って、暗黙の了解のもと、社会の片隅で存続し続けてきた色街は、その日、たった一枚の文書によって息をひそめてしまった。
その後、23日までに「かんなみ新地組合」は解散し、10店以上がすでに廃業申請を済ませている。
今回の件を受け、尼崎市の危機管理安全局長が述べた言葉が印象的だったので、ここで紹介しておく。
「インターネットが発達し、仕事の内容が具体に書かれた求人情報や現地を撮影した動画が広がっている。これまでグレーだったものが現実に目の前に出てきている。これに対して市民から『市のイメージを損ねている』とお叱りをいただいている」
インターネットの普及により風俗店探しが非常に便利になったと感じている私だが、そのことがかえって裏目に出てしまい、ひとつの風俗街を消滅させてしまったということになる。なんとも皮肉な話である。
街のクリーン化
「無修正のわいせつDVDを販売目的で所持していたなどとして、大阪府警は日本橋のDVD販売店7店を一斉摘発しました。」
そんなニュースが夕方のテレビから流れてきたのが2019年の春先のこと。その一年後には、またしても大阪の日本橋でDVD販売店が一斉摘発された。
大阪の日本橋で二年続けて警察が原盤屋を摘発した事実、しかも数店舗同時にガサをかけるという大掛かりな手入れに、私も正直驚きを隠せなかった。
無修正のアダルトDVDを違法に販売する業者(=通称:原盤屋)は、昔から大阪メトロ「恵美須町」駅周辺の雑居ビルには数多く入っていて、インターネットが普及したあとも客足が途絶えることはなかった。ネット環境に不慣れな高齢の客や、DVDとして手元に置いておきたい客が一定数いるということなのだろう。
ここ十年ちかく、大阪ではクリーンな街づくりを目指す行政の指導のもと、違法な風俗店や、きわどいサービスをおこなっているメンズエステなどに対して警察当局による浄化作戦が繰り広げられているが、原盤屋については音沙汰なしの状態が長らく続いていたから、このニュースが飛び込んできたときには、私は何か不穏なものを感じずにはいられなかった。
2025年の大阪万博が近くなってきて、当局もそろそろ本腰を入れ始めたのかもしれない。興味が湧いた私は、日本橋まで足を運び、ガサ入れのあった雑居ビルを覗いてみることにした。
私が足を運んだのは梅雨入りする少し前の六月中旬。オタロードと呼ばれる堺筋沿いのアーケード街から逸れて裏道を入った一角にある古い雑居ビルの前までやって来ると、そこには「販売DVD」の看板が…。
あれ?おかしいな?と思いながら階段を上がって行くと、摘発されたはずの店がちゃんと営業していた。
じつは、摘発から数か月で営業を再開していたのだった。コロナ禍ですっかり出不精になってしまっていた私がもたもたしているうちに、ちゃっかり復活していたのである。
この業界ではよく見られる光景だが、なんとまあしたたかな連中だなぁと、思わず感嘆の溜め息を漏らしてしまった。
風営法改正以前の遺産
先日、かかりつけの歯科医院を受診した帰り道、久々に十三駅の裏通りを歩いていると、思いがけないものを目にして、思わず立ち止まった。
かつて私が足繁く通った風俗ビル、今では中国エステの巣窟みたいになってしまっている古い雑居ビルの入り口付近に、見覚えのある電飾看板が出ていたのである。
もちろん灯りはともっていなかったが、自分の行きつけだったホテヘルの店名が書かれたその看板を目にして、私はなんだか切ない気持ちになってしまった。
風営法が改正されて以降、性風俗特殊営業の届出をした店は、街頭でのビラ配りや客引き行為はおろか、店先に看板を出すことすらできなくなってしまった。
昔はチカチカ光るピンクの電飾看板に引き寄せられるように、常連客だけでなく、たまたまそこを通りかかった流れ客までもが風俗店に足を運んだものだったが、そんな光景は今ではまったく見ることができなくなった。
私はその看板の前に立つと、しばらくじっと眺め入ったあと、スマホで写真を撮った。もし可能であれば、ビルのオーナーに声をかけて、看板そのものを持って帰りたかったが、持って帰っても置く場所に困るし、そもそも家に中に風俗店の看板を飾っておくのは不自然だろう…。
気が引けた私は、せめて思い出だけでもと思い、画像をスマホの中に収めておくことにしたのだった。
しかし、どうしてこんなところに看板が掘り出してあるのだろう。あの店が廃業してから、あの場所はずっと空き店舗のままだったが、ようやく次の店の入居が決まって、あの店に残っていたものを処分することになったのだろうか…。
現在、大阪府下全域で店舗型性風俗店の新規開業は禁止されているから、もし新店がオープンするとしたら、おそらくエステの部類だろう。またしても中国エステか…。
そんなことを考えながら、私はとぼとぼと自宅への道を歩いた。駅前の商店街を抜けたあたりでふと、「やっぱり、あの看板もらって帰ろうかなぁ…」と思い足を止めたが、やはり思いとどまって、そのまま帰途に就いた。
消えゆく怪しい街並み
2019年から二年続けて大阪で原盤屋が一斉摘発されたとき、何かいやな予感がしたということは先にも書いたが、やはり何かの暗示だったのか、その後、私の生活圏内を含め、大阪府下で風俗店やエステの類がいくつも摘発された。そして今年11月、尼崎市の「かんなみ新地」で異例の一斉廃業が起きたのだった。
街並みもどんどん変わって行く。怪しいビルは取り壊され、新しくマンションが建設される。その周辺に小綺麗なカフェや食堂、ファストフード店ができる。医療ビルや調剤薬局ができ、あちこちにコンビニも建ち並ぶようになる。そして、その街の昔の姿を知らない人たちがたくさん移り住んでくる。
あのマンションが建っている場所には、かつて〝本番〟を売りにした韓国人風俗があった。コンビニが並ぶ一角は、以前はソープランド街だった。今ではもう、そんなことはすっかり忘れ去られ、綺麗で住みやすい街に変わってしまっている。
このたびの「かんなみ新地」の消滅が、この国の風俗産業にとって打撃となったことは間違いないと思う。色街という「街」がひとつなくなってしまったのだから。
近い将来、この国の風俗街はどうなってしまうのだろう…。
暗澹たる思いを抱きながら、それでも私は、今日もまた、怪しい街並みや怪しいビルの風俗店を探し歩いている。